蚕都上田が生んだ意外な産業とは

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上田の蚕糸業は、明治から昭和初期にかけて栄え、生糸はヨーロッパ、アメリカに輸出されました。蚕都上田は世界を相手に商売していたのであり、時代を経て今、ワイン用ブドウの産地として世界から注目されようとしていることは、前回のブログで書きました。

そこで、今回は、蚕都上田が地方都市では例がない「ある文化産業」をもたらし、現在まで続いていることに触れます。
さてそれは何か・・・

ずばり「映画ロケ支援産業」です。

一般的な説明としては、フィルム・コミッション(映画等の撮影場所誘致や撮影支援をする機関)を地方公共団体(都道府県・市町村)か、観光協会に置いて、地域活性化、文化振興、観光振興を図ること、といっていいと思います。

江戸時代から「上田紬」で全国に知られた上田は、明治・大正期には、蚕種と生糸の生産地として全国に名を馳せました。この繁栄に伴い、大正時代にはいると、地方では珍しい動きが起こります。それは・・・

洋式映画常設劇場3館が次々に誕生したことです。多くの映画ファンが生まれました。上田ロケ作品は、大正時代から現在までに劇場公開映画だけで110余本が確認されています。最近では「サマーウォーズ」、そして「真田丸」が最大の成果と思います。

ではなぜ、上田で映画ロケがこれほど行われたのか。その理由は・・・
①年間を通じて全国でも有数の寡雨、日照時間が長い気候で、ロケがスケジュール通り進むこと。
②明治・大正・昭和時代の建物が残っており、懐かしい日本の原風景があること。
特に、養蚕のための蚕室を持つ屋敷や街道筋、蚕種工場・蚕糸専門学校等の歴史的建物、蚕
糸業で潤った資金で導入した鉄道等がロケ場所として頻繁に出てきます。
③東京から新幹線で最短1時間13分、高速道で2時間30分。名古屋から高速道で3時間
30
分等の交通利便性
④ロケ隊受入れの温泉地のホテル・旅館や市街地のビジネスホテル等多彩な宿泊施設があるこ
 と。
⑤季節の寒暖差が著しく、四季がはっきりしていて、バリエーションある撮影が可能なこと。⑥地域の人たちがロケに慣れているため、協力的であること。
大正時代からの映画ロケの歴史が醸成してきたことです。
(信州上田フィルムコミッションHPを参考にしました)

 以上ですが、上田市が映画ロケ場所に適していることを少しでもわかってもらえればと思います。特に、少雨で長い日照時間は、桑やワイン用ぶどうの栽培適地であり映画ロケの適地でもあるということ。また、蚕糸業関係施設が映画撮影上、文化的価値を持ち、またこの地が比較的に東京等の首都圏に近かったことも製糸業輸出や映画ロケに共通して有利に働いたと言えるかと思います。

さて、現実に戻り、実際に上田市内のある映画の撮影現場といわれる場所を歩いてきました。どの映画のロケ場所に行ったのか。
それは・・・

2003年・山田洋次監督「たそがれ清兵衛」のクライマックスの決闘シーンの現場です。
ご覧になった
でしょうか(見てない方は誠にすいません、以下の写真だけサーと流し見して下さい)。色々な資料には、上田市・矢出沢川高橋の下の河川敷で撮影したとのこと。昨日見つけました。しっかり、「高橋」と明記されています(写真は見づらくすいません)。

たそがれ高橋

その下の河川敷が次の写真です。
橋の上から見ているのと、決闘シーンの川の波打ち際からの映像とは全く印象が異なると思いますが、石垣の積み方や木の位置を含め、ここだと思います(多分・・)。10分ほどぼーと眺めていました。主人公の真田広之の決闘シーンを頭でリプレイしながら・・・。

たそがれ決闘シーン

改めて、もう一度見たいと思いましたが、身近にシーンを実感できる場があるということは、「豊か」であるということです。
帰る途中、
近くに「歴史の散歩道」と記された石柱を見つけ、その狭い路地を歩いてみました。 風情のある屋敷横の通りで、石畳が心地よく、よくぞ整備してくれているとの感謝の思いです。
上田 石柱 たそがれ細道

ここでの思いをまとめますと、
上田の蚕糸業の栄華(えいが)が、映画(えいが)を生み出し、その映画は新たにワインともつながれば素敵だなと思います。
そのつながるストーリーの方向は ⇒そう、蚕都である桑とワインを歴史的な視点から織りなす懐古(=かいこ:蚕)調いいと思うのです。

この記事を書いた人

長谷川 正之
アグリフードビジネスアドバイザー

□1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、長男としての責任を感じ故郷・長野県の農林系金融機関に就職。在職中は、融資や資金証券運用業務ほかに携わる一方、企画業務では「中小企業診断士」の資格を活かし経営戦略(経営理念の策定含め)を立案し事業展開を図る。54歳時に、「上司の顔より真理の顔を」という言葉に出会い、「ソロで力量を磨き、パーティーを組んで更に高い目標に挑戦していく!」意識を自覚。思い切って選択定年で退職。
□55歳で一念発起し、政策研究大学院大学政策研究科まちづくりプログラム(修士課程)に学び、ダントツの高齢者ではあったが無事「公共政策修士」を取得。 
□56歳で長野県庁の民間登用試験を受け、任期付職員として採用(課長級:農政部農産物マーケティング室企画幹)。県農畜産物の統一ブランド「おいしい信州ふーど(風土)」を玉村豊男氏と共に創設し普及。6次産業化推進や「信州ワインバレー構想」策定等にも関わり、任期満了につき退職。
□61歳で上田市農林部農産物マーケティング推進室・専門員に採用。「発酵で輝く上田のまちづくり」を提唱し、民間の「信州上田・発酵の女学校」等の設立を支援。上田市の統一ブランド「信州上田なないろ農産物」を創設し、地産地消を強力に推進。講演では「尊農上位論」を熱く説く。現在、ながの農協非常勤監事も務める。
□地域活動として、地元小学校PTA会長、さらに当時の小学校連続殺傷事件発生に際し地域で自主防衛すべく歴代PTA正副会長会(ビーナス会)を組織し現在会長。「地域の子どもは地域で育てる」を合い言葉に実践中。春・夏休みには、町内児童館で本の読み聞かせを楽しく行っている。
1995年阪神淡路大震災時には、友人の落語家や中学同級生たちといち早く復興支援寄席を開催。以降、高齢者福祉につながればと坂城寄席を継続開催中(現在休演)。地区の自治活動にも積極的に関わり、来年は区長を担う。コロナ禍や自然災害多発のなか、自治会(区会)が自治体(町行政)を構成する確かな「共同体」の仕組みを作りたいと意欲を持つ。
今後、「中小企業診断士」「公共政策修士」の知識・経験を活かし、さらに地域に貢献したいと前を見すえる。紆余曲折の人生のなかで培った多彩な人脈が自らの強み。
□趣味は落語鑑賞。好きな言葉として 「上に立つより前に立つ」 「スピードが感動を呼ぶ!」「笑いで輪(和)来!」「他人の言葉を気にして生きるには人生は短すぎる!」。
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