農協と行政が役立つところ

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全国どの県も、耕作放棄地問題に頭を悩ませており、補助金を用いて解消促進に努めています。一方、放棄地は農業者の高齢化等で新たに発生し続けており、厄介な問題です。解決は個人ではどうしようもなく、企業の参入で突破していくしかないのが実情です。
そこで、耕作放棄地解消で、農協と行政が果たす役割を私が関わった2つ事例を紹介し考えてみます。

【事例K社】

当社は自動車販売会社ですが、リーマンショックで売上が大きく影響を受けたことから、社長は作ったものを仕入れて売る(車販売)のではなく、作って売るという「川上から川下まで」関われる仕事への挑戦を志しました。

具体的には、社長が大好きな「信州そば」は、実は中国等からの輸入が国内扱い量の8割近くを占め、現在食べているのは本物の信州そばではないと聞き、ショックとともにチャンスを感じたとのこと。採算を考えると、大きな圃場面積を必要とすることから、農業委員に相談するも、地域は企業の農業参入に警戒感を持っています。

そこで、社長は地域の人から信頼を得るため、まず荒廃地を引き受け重機で開墾して整地し、そばを蒔きました。そうしたら景色が一変。社長の本気度を感じ、周りの地権者から頼まれるようになったとのことです。

何年か経つと、農協が協力してくれるようになりました。
最初は冷ややかに見ていた農協ですが、継続的に荒廃地を引き受け、農協の苗・飼料・資材を購入している当社に対し、①近隣農家との調整 ②農地あっせん ③栽培等技術指導などの恩恵をもたらしてくれました。

特に、①②は、独自では非常に骨の折れる仕事です。社長は農協に手数料を払っていますが、それ以上のプラスをもたらしてくれたと言います。そば栽培では、近隣リンゴ農家の消毒が大きな問題ですが、収穫前の1週間は消毒をしないよう、隣接農家を説得してくれる等、地域における調整役として、農協は充分存在価値があると話します。

荒廃地 

  ソバ畑放棄地利用

【事例B社】

30代前半の若い社長は、レタス・キャベツなどの葉物野菜を扱っていますが、やり手です。正社員10名ほど、若い社員でやる気ムンムンの会社です。彼は、野菜の販売先を確保したいとの思いから、ある行動に出ました。予想がつきますか。

それは・・・全国展開のハンバーガー専門店M社と共同出資して新会社を設立し、社長となり、専門店向けの野菜を生産しています。自ら東京の本社に出向きプレゼンをし、共同出資会社設立という大きな成果に結び付けました。

圃場はK市で、市から耕作放棄地を紹介してもらい、条件不利な圃場から作付けしています。これも、事例K社と同じく、企業参入に警戒的な地域農業者の信頼を得るための行動です。そこで紹介したいのは、あまり前例のないある協定を結んでいることです。そのおかげでスムーズに市から耕作放棄地を紹介してもらえるのです。その協定とは・・・

新会社とM社と市の3者が結んだ協定です。内容はアバウトに次のような内容です。
①地域で取り組む農業施設や用水の管理作業等に進んで協力する。②農業用飼料等の購入や新たに雇用する場合は、当市を優先する。③環境の美化に努める、です。
この3者協定の期待効果は何か

新会社は、市とのつながりで、圃場を確保しやすくなり、M社に安定供給できる。Mは安定的に野菜を確保でき、採算的にもプラスは、地域農業者との間に入り、耕作放棄地の解消が進み、また環境保全にも役立ち雇用増につなげられる。地域農業者は、市が関わることで、保有農地を安心して企業に貸し出せる4者にそれぞれメリットがあります(農協も加わればさらに良かったのですが・・・)。

この協定を締結後、2社社長と市長が県知事を訪問して報告し、記者会見を行いました。私がその段取りをしましたが、少し誇れる県職員時代の仕事の一つです。

【2つの事例から何を学ぶか】

農協(敢えてJAとはいいません、農業協同組合です)と行政は人と人をつなげ、地域の課題解決を図るのが、一番の仕事だということです。

そうならば、もっと両者は地域で協働して取り組む必要があり、そうすることで課題解決が図られると思います。ただ、危惧するのは、農協の大型合併が進むことで、地域農業者とのつながりという「神経」が壊死してしまわないか。

住民の中に入って問題解決する行政と、大きくなっても人との関わりを大切にする農協が今こそ求められています

この記事を書いた人

長谷川 正之
アグリフードビジネスアドバイザー

□1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、長男としての責任を感じ故郷・長野県の農林系金融機関に就職。在職中は、融資や資金証券運用業務ほかに携わる一方、企画業務では「中小企業診断士」の資格を活かし経営戦略(経営理念の策定含め)を立案し事業展開を図る。54歳時に、「上司の顔より真理の顔を」という言葉に出会い、「ソロで力量を磨き、パーティーを組んで更に高い目標に挑戦していく!」意識を自覚。思い切って選択定年で退職。
□55歳で一念発起し、政策研究大学院大学政策研究科まちづくりプログラム(修士課程)に学び、ダントツの高齢者ではあったが無事「公共政策修士」を取得。 
□56歳で長野県庁の民間登用試験を受け、任期付職員として採用(課長級:農政部農産物マーケティング室企画幹)。県農畜産物の統一ブランド「おいしい信州ふーど(風土)」を玉村豊男氏と共に創設し普及。6次産業化推進や「信州ワインバレー構想」策定等にも関わり、任期満了につき退職。
□61歳で上田市農林部農産物マーケティング推進室・専門員に採用。「発酵で輝く上田のまちづくり」を提唱し、民間の「信州上田・発酵の女学校」等の設立を支援。上田市の統一ブランド「信州上田なないろ農産物」を創設し、地産地消を強力に推進。講演では「尊農上位論」を熱く説く。現在、ながの農協非常勤監事も務める。
□地域活動として、地元小学校PTA会長、さらに当時の小学校連続殺傷事件発生に際し地域で自主防衛すべく歴代PTA正副会長会(ビーナス会)を組織し現在会長。「地域の子どもは地域で育てる」を合い言葉に実践中。春・夏休みには、町内児童館で本の読み聞かせを楽しく行っている。
1995年阪神淡路大震災時には、友人の落語家や中学同級生たちといち早く復興支援寄席を開催。以降、高齢者福祉につながればと坂城寄席を継続開催中(現在休演)。地区の自治活動にも積極的に関わり、来年は区長を担う。コロナ禍や自然災害多発のなか、自治会(区会)が自治体(町行政)を構成する確かな「共同体」の仕組みを作りたいと意欲を持つ。
今後、「中小企業診断士」「公共政策修士」の知識・経験を活かし、さらに地域に貢献したいと前を見すえる。紆余曲折の人生のなかで培った多彩な人脈が自らの強み。
□趣味は落語鑑賞。好きな言葉として 「上に立つより前に立つ」 「スピードが感動を呼ぶ!」「笑いで輪(和)来!」「他人の言葉を気にして生きるには人生は短すぎる!」。
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