ある日曜日に、水田の草取りに小学生の娘を連れて行きました。娘は水遊びを兼ねてです。
昔から草取りは農家にとって一番嫌な仕事であり、大人は子供の根気を養う必須の科目と勝手に解釈し、課していました。今では、大人でも水田の草取りをする姿はほとんど見られません、除草剤で済むからです。
父親の珍しい草取りの姿を見ていた娘が、背中越しに思わぬ一言を発しました。
その言葉とは・・・「お父さん、スパイダーマンみたい」
水田に這いつくばって草を取っている姿が、先週連れて行った映画「スパイダーマン」の主人公の動作に似ていたのでしょう。映画のスパイダーマンは、蜘蛛のように壁を這い、手から糸を発射してダイナミックに高速でビルからビルへ移動します。
先週、もし子ども孝行をしていなかったら、きっと手拭いを頭に巻いたカッコ悪い姿を、「お父さん、ゴキブリみたい」と言われていたかもしれないと思うと(家では、恥ずかしながら、ゴキブリ亭主と呼ばれることがままあるため)、何事も先手必勝と思うと同時に、私に似た娘の心の優しさに安堵したのです(ひいき目ですいません)。
しかし、その後の半日、「水田のスパイダーマン」が考え続けることになるのは、娘の意外な言葉でした。
それは・・・「田んぼに水が入ると広く感じるね」
であり、妙にこだわりを覚え、田んぼの狭い・広いについて、這いながらあれこれ独り考えを巡らせたのでした。
「そうだね、空や景色が映り、光が反射して地面の時よりも立体感が出て、広く感じるよ」とか、「苗が列になって植えられていると、見た目にも近い所と遠い所がはっきり強調されて、遠近感というのだけれど、広く感じるんだよ」「水が入り苗が植わると水面はさざなみ、苗は風で揺れ動いて見えるから、広く見えるんじゃないかなー」と娘に答えましたが、「ふぅーん」という反応で対話は終わりました。
確かに、水田に空が映ると、山国の人間は、実はその水に映ったブルースカイに、憧れの海を無意識に連想してしまうのではないでしょうか。山に囲まれていても空は広くつながっており、田んぼの水は映る空を媒介として広い海のイメージまで反射的に移しとっていると思うのは、私だけではないでしょう(?)。
また、水は、上流から流れてくる自然の賜物で、国民の共有の財産です。個人の田んぼという私有地に、共有の水が流れ込みつながることで、他の田んぼとも一緒という共有地意識が浮かび、個人の田からあたり一面の田に思いが拡大し、「広い」という意識を持つのではないか、などです。
実は、以上の文章のアウトラインは、14年前に勤めていた組織の会報に綴ったものです。
なぜ、14年前の文章を引っ張り出してきたのか。それは、近頃「農業の価値」についてある方と話していて、先の私の体験を披露したところ、議論が盛り上がったからです。田んぼ仕事・畑仕事をしながらあれこれ考えることは大切です。
今は家族で農業をするのは、専業農家か、市民農園での関わりに限られてしまっています。田んぼや畑で自然と向き合い対話しつつ学んだことは身体に浸み込んでおり、いつでも貴重な体験として取り出せると思うのです。農業に関わった身体的経験は、もっとしっかり次世代につなげていくべきと考えます。
そう、日本では、「考」えるという漢字は、「土」という字画が入っているのですから。
当時は、年老いた私の父親が、田に馬糞を入れて米を作っていました。そんなに広くない水田でしたので、私も土日に草取りをしながら、ささやかなプライドとして、「有機農業の生産者」を心の中で名乗っていました。
さて、娘が田んぼで「スパイダーマン」と発したことが、その後の彼女の人生にどうつながっているかはわかりません。今は保育士の娘が、昆虫を苦手にしているようですが、父親としては「蜘蛛には抵抗がない」と話してくれればと念じつつ、今のところ確かめられないでいるのです(笑)。
この記事を書いた人

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長谷川戦略マーケティング研究所所長
1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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