私がほぼ一貫して人と人、人と自然などの「関係性」づくりに関心を持ち、地域づくり支援を進めてきたのか。年初にあたり、基本的な考え方を話します。
私の考え方の原点をわかり易く表現してくれている方がいます。ご存知でしょうか・・・哲学者の内山節さんです。著書「ローカリズム原論」の中から一部を要約して引用します。
人間は弱い生きもの
******引用はじめ*******
人間は知性を持っている。知性の存在が人間と他の動物とを分ける、という一般的な考え方があります。私(内山)はこの考えに批判的です。なぜか・・・
人間は非常に弱い生物として地球上に生まれてきた、と考えるからです。たとえば、牛はすごい消化能力を持っていて、草だで生きていく力を持っている。ヤギに至っては、少し雑草があれば生きていけます。
それに比べて、人間は獲物を捕まえる腕力も、走力も、跳躍力も、視力も、繁殖力もたいしたことはなく、バクテリアやウィルスに大変弱い生きものです。
そういう極めて弱い生きものが生き延びようとした方法として、人間は周りのものと多様な関係を作ったのだと考えています。
というのは、人間は食物を採るということで、草・木の実・魚・貝・動物などと関係を持つ。消化能力が弱いため生で食べることに限界があり、火と関係を持つ。
人間は弱いので家族を形成し、道具を作り、畑を耕し、結果として文化や文明を作ってきました。
今は、人間の本質に属する部分に「関係性をつくる」ということがある、と考えています。今の時代がまずいのは、人間たちが今までつくってきた「関係性」を断ち切って、人間の本質を自己否定し始めた。
「関係性をつくる」「共同性をつくる」ことは、そのこと自体を目的に「そこにこそ人間の原点がある」ととらえねばならず、手放すのはまずい、と考えます。
*****引用終わり*******
私(長谷川)は、以上のような考え方に同調します。
農業生産者には「関係性」が欠かせない
人間にとって、人や自然との「関係性」は、「よりよく生きるための道具」ではありません。道具であれば、お金で解決できるという人も出てきます。
そうではなく、人間は「それ自体を目的にしなければいけない」と考えます。
農業生産者は、はじめは個別のトライ&エラーで実績作りに必死ですが、自然に接して仕事をし、生きているのですから、次には地域の自然や多様な人々と関係をつくって発展していくのが基本的方向と考えます。
私の周りにはそういう農業生産者が何人もいます(前回のブログに登場した柿嶌洋一さんもその一人です)。
某週刊誌が何回も「儲かる農業」を特集し、全国で活躍する強い農業経営者たちを賛美していますが、そこに私が注目する地域や自然との謙虚な「関係性づくり」の話はほとんど出てきません。
「関係性」をつくって考え行動する
以前書いたハンナ・アーレントは、「他の人の立場に立って考える能力の不足」がナチスの残虐な行為を招いたとし、「判断力が機能するためには、人間の社交性が条件であり、人間の判断力は、他者の視点から世界がどのように見えるかを想像する力を前提としている」と述べています。
互いに関係性をつくって、その中で考え議論する場が仕事だけでなく、生きていくうえでも大切なのです。
こういう私の話は観念的だという人もいるでしょう。しかし、観念的あるいは、抽象化するということは深く考えるうえで欠かせないと思います。
「読んですぐわかる表現でないと×」のような、わかり易さだけを追求していくと、即席ラーメンのような、栄養のない思考・行動を量産するだけです。
私は、今年もいろんな人たちと「よりゆっくり・より近くに・より寛容に」関係をつくって、農業を核とした地域づくりを支援していこうと思います。
この記事を書いた人

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長谷川戦略マーケティング研究所所長
1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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