先週、上映中の映画「終わった人」を一人でこっそり見ました。
「定年後をどう生きるか」というテーマに心がざわついたからです。
まして、「夫婦はどう向き合っていくべきか」という切実な問題提起がなされている映画ならば、なおさらです(主人公の舘ひろしは、やっぱりカッコイイ、しょうがない・・涙)。
還暦を過ぎ、まだ残りの時間が半端ない身として、見終わって何を感じるか確かめたかったのです。結局、このブログで書くことは次のことです(あらすじは触れません)。
「終った人」を自覚することからその後は始まる、ということです。自分に貼られたレッテルがはがれると、見えてくるものがあります。
映画では、「東大卒・銀行員」という典型的なレッテルが定年ではがれると、年相応の欲求や忘れていたコミュニケーション能力を回復し、ぎこちないけど周りの人たちと新たな関係性を作っていきます。
そこでは、暇を自覚し、暇を中心に行動します。やることが無く、行動がやせ細ると、何かを求めてむやみに動き回るようになります。
最大の関心事は朝・昼・晩に何を食べるかであり、そこから人生が再び動き出します。
そこで、気になることがあります。
最近、全国平均寿命トップクラスの自治体住民の一人から、こんな話を聞きました・・・。長生きされている方が、家から出てこない。コミュニケートしない(できない)人が多くなっているとのこと(特に男性)。人それぞれでいいんじゃないと言ってしまえばそれまで。
「終わった人」は、やることが無い暇期のモラトリアムを経てコミュニケーション能力を回復し、新たな関係性構築に向け自分の足で動き出す(それしかない)。
一応、話はここで終わりにしたいのですが、何かスッキリしないのです。自分自身の境遇のせいでしょうか・・・。
「終った人」の思いはどうなのか、と問いたいのです。
思い通りいかなかったと自覚している場合は救われます。新たに思いを変えることで、その後が変わってくるからです。そこから「終わった人」の始まりが訪れます。
思い通りいった人は「終わった人」と自覚できない。肩書や自分ブランドに終生しがみつく(人が周りに多い)。
「終わった人」は思いを変えていけばいい。思いを変えるには、いろいろ無駄と思うことをやってみること。
軽やかに、時にバカ真面目に。そこには逆説だがこんな言葉が浮かぶ。
「終わった人」は終わらない。
(関連記事:7.4.10「失敗って何だ?」)
※ 過去のブログ記事はマーケティング本形式の「農業の売れる仕組みづくり」
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この記事を書いた人

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長谷川戦略マーケティング研究所所長
1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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