「子供をさがす」(1)

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令和元年スタートの10連休、あなたはどんな過ごし方をされたのでしょうか。
私は、2日間を読書の日とし、ゆっくり読み返したい本として手にしたのは、民俗学者の宮本常一著「忘れられた日本人」(岩波文庫)です。

改めて版を見ると、1984年第1刷から読みつながれ2007年で54刷。23年間で53回の増刷は間違いなく名著で、あなたも1回は読んでいるでしょう。 再度読んだ中で、たった5ページの「子供をさがす」という小品(1960年)が心に引っかかりました。
簡単なあらすじを記します。

テレビを買ってくれとせがむ1年生の男の子を母が叱り、子供は外に出て行って夕飯になっても帰ってこず、警防団他に探してもらっても見つからない。父親が帰ってきてようやく、家の表の間の戸袋からひょっこり出てきた。少し心配させてやろうと隠れていたが、騒ぎが大きくなり出られなくなったのだろう。

探しに行ってくれた村人にお礼をいいつつ驚いたのは、それぞれが勝手に山畑の小屋、池や川のほとり、子供の友達の家他、子供の行きそうなところを探してくれたことである。 これは、村の放送を聞いて村人が個人的に探しに行ったのだが、あとで振り返ると実に計画的な捜査がなされている。 ということは、村人が子供の家の事情や暮らし方を知り尽くしていて、目に見えない意志のもとで統一的に動いていたということ。村落共同体がそこにある。
・・・話しはここから本題に入る(と思う)・・・
ところが、村人が必死に探し回っている最中、道にたむろして、子のいなくなったこと等の噂話 に熱中する人たちがいた。子供の家の批評をしたり、もう死んでしまったのでは、などと言っている。村人ではあるが、近頃よそから来てこの土地に住みついた人たちである。日頃の交際は古くからの村人となんのこだわりもなくおこなわれている。
しかし、こういう時は捜査に加わろうともしないし、全くの他人ごと。ある意味で村の意志以外の人々で、村人にとっては役に立たない人々である。

さて、そのとき若い男がひとり、探しに行ったきり戻ってこない。あいつのことだからどこかへ飲みにいったのかもと噂する者もいた。 ようやく戻ってきて、「こいつ、よくも俺をだましたな」と子どもを追いかけまわしている。 彼はのんべえで、子供をいつも怒鳴りつけていたが、子供に人気があった。かれは子供がいなくなったと聞いて、子供の一番仲の良い友達のいる山寺まで探しに行ったのである。 そこは一番さびしく不便な山のなかであった。

あなたは、このショートストーリーを読んで何を思いますか。 色々な感想があると思いますが、私がふと思ったことを次回に記します。

そこでのキーワードは、「地域における子供の存在」と「多様性」。 

この記事を書いた人

長谷川 正之
長谷川戦略マーケティング研究所所長

1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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