「子供をさがす」(2)

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前回記したショートストーリーから、私が感じたことは何か。
発表された1960年(昭和35年)と今とは時代が大きく異なることは承知で述べます。
ひと言でいうと・・・「共同体といえる証しは、住民の子供をお互い大切にし、未来を託そうとすること。」

この小文から感じるように、昔から存在している共同体が維持され存続し続けるには、子供を大切にし、みんなで育てることが不可欠です。 私もこの文章と同じ時代に子供として生きていて、テレビのある家にみんなが集まり当然のように 見ていました。また、親戚ではないけど親同士が親しい家に行って、そこの子と一緒にご飯を食べた記憶もあります。みんな貧しかったので、お互い助け合って生きていた時代です(コンビニなど考えられない時代)。

その後の60年間で農村を取り巻く環境はガラッと変わりました。現在、地域で子供を宝として一緒に育てるという環境づくりの担い手は、児童館や小学校のPTAです。 しかし、共働きでPTA役員のなり手がなく、断る際の個人のプライバシー問題がネットで大きな議論をよんでいます。児童館の運営も私の周りでは厳しい状況です。

共同体としての個人の無意識の行動は、子供を共有し育てるという意識にかかっていることを、この「子供をさがす」という小文は表しています。その限りにおいて、現在はこの意識がまことに薄れてしまっていて、共同体の存続は危ういといわざるを得ません。

そこで、例えば集落の中に多様な文化を持つ方たちが一定数入ってきたとすれば、どうでしょうか。 ふだん、外国人、特に宗教が異なる方たちとのコミュニケーションを積極的にもとうという人は少数派でしょう。

裕福な家庭の子供のみに与えられた特権は、外国に留学して国際感覚を磨くことです。わが家を含め大多数の家では無理です。

そこで、敢えて「文化や言語が違う子供たちを地域で一緒に育てる」という目的を掲げたならばどうでしょう。宗教の異なる外国の方たちと一緒に暮らすことで、国際的な感覚が日常レベルで身に付きます。 当然、習慣が異なり摩擦は大きく、トラブルを覚悟する必要があるかもしれません。

しかし「子供を中心に共同体をつくる」と大人が覚悟すれば、自治体が言葉のわかる人材を配置し、親同士が多様性を認め合い、仲良くなる動きが出てくるかもしれません。それには、「子供をさがす」というような自発的な動きは無理としても、住民が共同作業をする機会を持つことで共同体を指向できるかもしれません。

私の住んでいる部落では、年一回「せぎざらい」をします。もうすぐで5月12日の日曜日です。 そこに、同じ部落内にあるモスク寺院の方たちが初めて清掃に加わります。

私は部落の自治会役員なので、先頭に立って一緒に作業をし、次につながるよう行動しようと思います。
文化や言語の違う子供たちが一緒に遊び成長する明るい笑顔を想像しつつ・・・。

この記事を書いた人

長谷川 正之
長谷川戦略マーケティング研究所所長

1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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