残り火が再び燃え上がるとき!

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最近、たき火をし、「暗闇でしばし炎を見つめつつ考えたこと」を、あなたにそれとなく伝えたい。

私は、我が家の隣の耕作放棄地を借りて開墾し、玉ねぎやピーマン・ナス・オクラ・モロヘイヤなどを作っているが、冬支度で枯草や枝を燃やした。もちろん、地元の消防署に事前に届け出ている。

短時間で大変よく燃えて、炭は残り火をかろうじて維持し燃え尽きようとしている時、まだ残っている大きめの枝がいくつかあることに気づいた。持ってきた新聞紙はもうない。さてどうするか。

暗闇迫る中、廻りをキョロキョロすると、隣の田んぼにコンバインで刈り取り後の切り刻んだ藁(わら)がまかれていることに気付いた。

少々(手のひらでつかめる程度)を失敬して、消えかけている炭火にばらまくと、あっという間に勢いよく炎が立ち上った。そこに、枯れ木を置くと、メラメラとよく燃え始めた。

暗闇の中、ジーッと大きな赤い炎を見つめていると、「こんな思い」が胸にこみ上げてきた・・・

消えかけていた炎は、消滅するであろう「過疎の古き良き日本」ではないか。
共同体としての伝統や慣習や価値観が失われ、新自由主義による経済優先で自己責任が第一の規範となり、格差拡大が急伸し日本国民は分断されてしまった。

日本の未来は、コロナ禍の長期化も加わり、暗く不安で先が見えない暗闇にある。 私たちはマスク着用・三密回避等を最優先し、他に自らやるべき重要なことはとりあえず後回しにして、テレビのコロナ報道に捕らわれている。

そんな時、次世代に何をつなげるか考えることを忘れてはいないか。父母やご先祖様から受け継いできた教えや戒めを次世代に引き継がなくてよいのか

そうだ! 私は燃えやすい細かい藁」となって消えかけた残り火に飛び込み、自ら燃えて、次の世代に火をつなげる役割を果たそう。名もない私なら誰にも躊躇することなく出来る。

歳を重ねた人と若い人たちの集う場をつくり、日本の田舎に残る共同体を中心とした慣習や考え方・伝統について会話ではなく対話をする。

コロナ禍の中で進みつつある「疎の田舎」を求めてくる多様な人たちを受け入れ、そこに住み続ける年長者と一緒に「その地の民」として酒を酌み交わしながら、この地を見つめ、そして世界とのつながりを考えたい

多様な人の異なった考えをすり合わせる行為は、同調者同士の「会話」とは言わない。エネルギーを要する「対話」である。だからこそ「対話」の中から新しいものが生まれる。

コロナの時代は、田舎から新しいものが立ち上がってくるのだ。

人が集うことは難しいと承知しつつ、燃えやすい「細かい藁」役の私は、これからの10年間(65歳~75歳:ある先輩がいう「人生の黄金期」)、疎の田舎で「燃えてつなげる役割」を果たしていきたい。

振り返れば、私は今までも無意識にそんな立ち回りをしてきたように思う(地元自治会役員、お寺の護寺会役員、PTA会長会会長、寄席実行委員長も現在引き受けている)。この方向でいいのだ。

暗闇の冷気の中、炎を見つめつつ自分に誓い、これからの生き方の方向を見出せたような温かい心持ちになった。

今後も迷いは幾度となくおとずれるだろうが、その都度、「たき火の炎」が必ず私に教えてくれる、と素直に信じている。

この記事を書いた人

長谷川 正之
長谷川戦略マーケティング研究所所長

1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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