年初に「食」を考える①

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新年、明けましておめでとうございます。
本年も、マイペースで発信していきます。

今年の正月休みは、時節柄、家にこもってネットでドラマを見、あとは読書で過ごした。
見たドラマは、昨年話題をさらったあのドラマ・・・もう、おわかりでしょう。ネットフリックスの「愛の不時着」。

ハマるまいと心して妻と一話ずつ見始めたが、妻は目の疲労具合から1日1話が限度という。

ならば3話からは別々でとなり、以降数日でいっきに16話を見終えた。評判にたがわず、面白かった。残念ながらハマってしまったのだ。

ドラマを見て、私がわざわざブログに書いておきたいと思ったことは何か。
それは・・・もちろん「愛」ではない(笑)。

」についてである。昨年とっくに見終わっているあなたは“エッ”と思われただろうか?

【私が考える「愛の不時着」が日本で大ヒットした理由】
このドラマが日本で大ヒットした理由として、主人公のカップル同士がお互いに命を懸けて相手を守る、という純愛があげられよう。

また、南と北という政治的な背景のもと、愛がどう展開されるのか、見る者は全く先が読めず、引き込まれたこと等、いくつもあるだろう。

私が仕事がら印象深かったのは、「輪になって一緒に食事するシーン」だ。何度もあり、見る者に大きなインパクトを与えたのではないか。私はそう思う。

【一緒に食べるということ】
北の村民の女性たちが貧しいながら料理を持ち寄って輪になって食べるシーンや、主人公である北の中隊長の配下兵士たちの食事シーンでも、南から不時着したヒロインが一緒に加わりバンバン食べる。

南で実業家だった彼女は「小食」でかつ部下と一緒に食事するなど考えられなかった。一緒に食べることより、一人で高価なワインを飲むことに価値を見出していた。

財閥の家族は一緒に楽しく食事をすることなど無縁であり、家族ではなく相続人・後継者として争う関係でしかなかった。

しかし、北での彼女は、まわりの人と心を通わせ一緒に食べることで食欲が出て体力が増し生きる力を得ていく

【コロナ禍での食事】
日本は、村社会がほとんど崩壊し、私の小さい頃の「近隣の家に夕飯を食べに行き来する」ことなど今は想像できない。会社も非正規社員の増加で、「経営家族主義」という概念を失ってしまった

若い社員は、少なからず時間外の誘いを拒むし、だからこそなおさら「わきあいあいの食事」にあこがれるのだろう。 

そして、コロナ禍。自粛し家族で食す機会は増加、と思っていたら家庭内感染を回避するため、家庭内でも間隔を空けてしゃべらずに食べることが推奨されるに至った。

家族でさえ一緒に食べることがはばかれる現在、「愛の不時着」の親しい仲間で食事するシーンは、幸せに暮らす象徴としてコロナ禍下の日本人の心に強く焼き付いたのではないか

ならば、日本の昔の映画を見てもそういうシーンに出会うと思うだろう。

 【日本は昔から個食】
しかし、我が国の家族の食事シーンは、「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」など(あなたの記憶にあるかどうか?)、わいわい家族で食べるシーンは昭和に入ってからのようである。

奈良時代から明治時代までは、銘々膳といって一人ずつ、それぞれのお膳を使って食事をしていた。食事中はしゃべらないのが行儀。
そうだとすると、コロナ禍により、昔の食べ方に戻っただけとも思う。

そこで、年初に読んだ頭木弘樹著『食べることと出すこと』に書かれている、個食と共食についての考察が興味深く、考えさせられる。
長くなりそうなので次回に続く。

この記事を書いた人

長谷川 正之
アグリフードビジネスアドバイザー

□1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、長男としての責任を感じ故郷・長野県の農林系金融機関に就職。在職中は、融資や資金証券運用業務ほかに携わる一方、企画業務では「中小企業診断士」の資格を活かし経営戦略(経営理念の策定含め)を立案し事業展開を図る。54歳時に、「上司の顔より真理の顔を」という言葉に出会い、「ソロで力量を磨き、パーティーを組んで更に高い目標に挑戦していく!」意識を自覚。思い切って選択定年で退職。
□55歳で一念発起し、政策研究大学院大学政策研究科まちづくりプログラム(修士課程)に学び、ダントツの高齢者ではあったが無事「公共政策修士」を取得。 
□56歳で長野県庁の民間登用試験を受け、任期付職員として採用(課長級:農政部農産物マーケティング室企画幹)。県農畜産物の統一ブランド「おいしい信州ふーど(風土)」を玉村豊男氏と共に創設し普及。6次産業化推進や「信州ワインバレー構想」策定等にも関わり、任期満了につき退職。
□61歳で上田市農林部農産物マーケティング推進室・専門員に採用。「発酵で輝く上田のまちづくり」を提唱し、民間の「信州上田・発酵の女学校」等の設立を支援。上田市の統一ブランド「信州上田なないろ農産物」を創設し、地産地消を強力に推進。講演では「尊農上位論」を熱く説く。現在、ながの農協非常勤監事も務める。
□地域活動として、地元小学校PTA会長、さらに当時の小学校連続殺傷事件発生に際し地域で自主防衛すべく歴代PTA正副会長会(ビーナス会)を組織し現在会長。「地域の子どもは地域で育てる」を合い言葉に実践中。春・夏休みには、町内児童館で本の読み聞かせを楽しく行っている。
1995年阪神淡路大震災時には、友人の落語家や中学同級生たちといち早く復興支援寄席を開催。以降、高齢者福祉につながればと坂城寄席を継続開催中(現在休演)。地区の自治活動にも積極的に関わり、来年は区長を担う。コロナ禍や自然災害多発のなか、自治会(区会)が自治体(町行政)を構成する確かな「共同体」の仕組みを作りたいと意欲を持つ。
今後、「中小企業診断士」「公共政策修士」の知識・経験を活かし、さらに地域に貢献したいと前を見すえる。紆余曲折の人生のなかで培った多彩な人脈が自らの強み。
□趣味は落語鑑賞。好きな言葉として 「上に立つより前に立つ」 「スピードが感動を呼ぶ!」「笑いで輪(和)来!」「他人の言葉を気にして生きるには人生は短すぎる!」。
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