母が亡くなって1ヶ月になる。満九十九歳、白寿。
あと何ヶ月かで百歳だったのに、との思いもあった。
が、菩提寺ご住職からは「享年101歳です」との言葉をいただき、墓誌にはそう刻まれた。
よかった、百歳生きたんだ、大往生だと嬉しくなる。
コロナ禍のなか、葬儀をすませ私なりに喪に服しているが、ブログを再開する。
母は大正11年生まれ。といっても今ひとつピンとこない。
西暦でいうと1922年生まれ。
オ~ット、今年は2022年だから、確かに100年の歳月。
歴史の教科書では1929年が世界恐慌、そして昭和恐慌への経済大不況時代で、幼少期にあたる。
そして第二次世界大戦から戦後の混乱の時期を、青年期として生き抜いてきた母はどう感じていたのか。
小さい私によく言っていた言葉を思い出す。「今は自由に勉強ができてイイ時代だね」。
そして覚えているのは、こんな生い立ちのこと・・・
尋常小学校を卒業し、勉強したかったが貧しくて埼玉県の製紙工場に一人汽車に乗って行った。
泣きそうになったが我慢した。寮に入り仕事をしながら必死に勉強した。
そろばんは寮の消灯後、廊下の電気がついていた下で練習した。
覚えたい一心だったので、苦労だとかイヤだとか思ったことはなかった。
休日になると他の人は外に遊びに行ったが、自分は本を借りてきて読んでいた。
仏教関係の本や石川啄木の本、短歌も好きで作っていた。
どこでもやろうと思えば勉強はできるんだよ。
思い出すたび、私は母の生き方の影響を少なからず受けてきたのだと感じる、有り難う。
さらに私の小学校時代、忘れられない母の言葉がある。
小学6年生になるにあたって、児童会長に選ばれた私が母に報告したところ、真剣に怒られた。
「母親として正之にウソをついてはいけないと教えてきたのに何ですか!」怒りに震えていた。怖かった。
それが治まったのは、担任の先生にウソではないという事実を話してもらったから。
今でも強烈に心に残っている。
「ウソをついてはいけない」・・・感謝
もう一つ母から教わったことは次回に。
この記事を書いた人

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長谷川戦略マーケティング研究所所長
1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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