三人目の恩師について

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前々回、前回のブログ「恩師に教わったこと(上)(下)」で2人の恩師について記した。

はじめの(上)の書き出しで、「私には恩師というべき方が3人いる」と記したところ、数人の読者からご存命である3人目の恩師のことも書いて欲しい、期待しているとのメールをいただいた。

そこで、直接のお名前は避けつつ、出会いやその後の経過・人となり等を記してみたい。
少し堅い内容で長めにならざるを得ないが、何とか読んでもらえれば有り難い。

【そもそもは中小企業診断士資格取得から】
私は農協組織に就職し、30歳の時(37年前)、中小企業診断士の資格を取得。

そして、県内にできた診断士試験受験校の講師を引き受け(勤務先がよく認めてくれたものだ)、受験生たち(主に金融機関行員等)と熱く燃えて取り組んだ。

結果、多くの合格者を輩出、彼らとはネットワークを組み勉強会を10年間ほど続けたように思う。今もそのうちの何人かとはお付き合いを続けている。

【3人目の恩師との出会い】
一方、診断士として自己研鑽したい、スペシャリティを追求したい、との強い思いから日本経営診断学会に入会。

平成3年(1991年)、東京にて戦略診断研究プロジェクト組成の案内があり、臆することなく一人で参加。

いくつかあるワーキンググループの中で、「自然環境保護の診断手法に関する研究グループ」に入った。

集まったのは、学会会長の大御所M教授とグリーンマーケティングを主導するO教授、そして名もない私の3人。

出会いの場は、東京お茶の水にある明治大学の校舎。そして、このO教授が私の3人目の恩師となるとはこの時、全く思ってもいなかった。

【発表の機会を与えてもらう】
2ヶ月後に、慌ただしかったが「環境保全への企業の対応と診断-マーケティングを中心に」と題して発表。

あろうことか、O教授が私の発表をコンサルティング情報誌(業界では誰もが知っている月刊誌)につないでくれて、掲載された(マサカヤー!:朝のテレビ小説を見ている方はわかると思うが・・笑)。

さらに、11月に慶應義塾大学にて開催された学会全国大会で発表。

翌年には学会年報に論文「環境保全に対する企業行動とその診断に関する一考察」として掲載(何回もチェックを受けたが)。怒濤の2年間であり夢中であった。

続いて、2年後の平成6年(1994年)、学会全国大会が亜細亜大学で開催された。

亜細亜大学教授のO先生(以下、先生と表記)の勧めもあり、1回目の論考をさらに見直し再構築して、2回目の全国大会発表を行なった。翌年、論文として学会年報に掲載。

今振り返ると、よくもまあ大学教授たちの前で発表しディスカッションできたものだと我ながら感心する・・・。

そして、一連の学会との濃密な関わりは、O先生のご尽力の賜物と深く感謝。

【亜細亜大学での講義の機会】
その過程で、私はO先生に誘われ、社会人講師として「農産物のマーケティングの実際」を亜細亜大学経営学部の学生さんたちに講義した。

31年前のその時の資料を今再び見ているが、気張って背伸びした内容で恥ずかしいが、ストレートに学生に伝えようとするエネルギーは伝わってくる。

また、O先生のゼミ合宿にも何回か参加させていただいた。
若い学生たちと話すのが楽しくて、ウキウキして話したことを覚えている。

【長野県にも来ていただく】
前半で記した診断士試験合格者たちと勉強会を行っていて、大御所のM教授とO先生を招いて講演会&懇親会を行い、大変満足度の高い機会となった。

飲んでは、「資格」取得で個人のレベルを上げる、「私格」を上げよう!などと話していた(若いナー)。

以上、35歳~45歳くらいの約10年間の出来事であり、私が力いっぱい走っていた時期であった(家庭より優先したこともあり、その後は妻上位の関係が定着し今に至っている・・・泣)

【54歳の転機でも力をお借りする】
私は54歳の時(平成21年2009年)、選択定年制度を利用して退職を決意。

翌年東京の大学院大学への受験を志したが、受験するのに推薦人2名の推薦書が必要と要項にある。

一人は友人の税理士に、もう一人はO先生にお願いしたが快く推薦文を書いていただき、支えてもらったのだ。

さらに、亜細亜大学で「環境が活きる地域経済のあり方」というテーマで講義もさせていただいた。

学生100名ほどの感想文を送ってもらったが、思いのほか好評で、少しだけ「恩返し」ができたのではと安どした記憶がある。

【私にとって恩師O先生はどういう存在か】
なんといっても、お人柄が温厚で、周りをふんわりと包み込む。そして労を惜しまない。
学生の自主性を尊重しつつ(私の自主性も)、的確な方向性を指し示す。

「環境マーケティング」に早くから関わり、消費者や住民である市民団体等と連携。

企業がゴミ問題や環境汚染問題等にどうかかわり、環境に配慮したマーケティングをいかに展開するか、提言を含め積極的に行動されてきた。

私が今もって環境問題やSDGs等に関心があるのは、若い時にアカデミックな場で鍛えられたことが基礎になっていると思う。

そして一番学んだことは、「人と人をつなげる」ことだ。

O先生は「利他の人」でもり、人のために尽力される。地球環境の保全に向けて、市民団体と行政との橋渡し役をかって出る方である。

先ごろ、久しぶりに電話でお声をお聞きしたが、80歳を前にまだまだお元気な様子、安心しました。

私にとっては大きな存在の恩師なのです(今年、何とか訪ねてお話ししたい)。

【3人の恩師から学んできたこと】
前々回の戸田先生からは、「独立自尊」「疑の世界に真理多し」という考え方を学ぶ。

前回の水出さんからは「二十歳過ぎたらみな平等」「肩書は外に向かって責任を取るためにある」を教えてもらった。

O先生からは、「人と人をつなげる大切さ」「地球環境保全のために市民と連携」などである。
では私の人生にどう影響したのか、4つのシーンで振り返ってみる。

54歳で勤務先を辞め大学院に入学する決断
人生の後半戦は、組織に依存しないで自らの専門性を活かして仕事をしていきたい(「独立自尊」の生き方)。

そして、診断士として行政と消費者や住民の仲立ちをし問題解決を図るコンサルタント業をしたい(「人と人をつなげる」仕事)。

大学院での修士論文作成
普段から20代~40代の仲間と酒を飲んで気心が知れていたので、わからないときは全面的に教えてもらった(「二十歳過ぎたらみな平等」の精神)。

県職員採用試験を受験
既存のやり方を疑い、今までと違ったやり方を見つけ、効果を発揮することにチャレンジしたい。

また、人と人をつなげ県民のお役に立ちたい(「疑の世界に真理多し」「人と人をつなげる大切さ」)

区長としての行動
現在は町の区長をしているが、地元企業のSDGsへの取り組みについて区会で講演していただいた(「地球環境保全のために市民と連携」。 

さて、今日は、20代~40代の若い皆さんと会う予定。

3人の恩師に感謝し、「疑の世界に真理多し」「肩書は関係なく、二十歳過ぎたらみな平等」を思いつつ、楽しくいろいろな意見を交換したいと思う。

この記事を書いた人

長谷川 正之
長谷川戦略マーケティング研究所所長

1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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