「植木の剪定」をして何を思ったか

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【なぜ剪定をするのか】
この30年ほど、旧宅の庭の植木の剪定(せんてい)を年に一度行なっている。それも7月後半。

旧宅の前の道路は普段は閑散としているが、お盆は多くの人が行き交う。

伸び放題の庭木は見苦しい、という動機から全くの素人ながら迷惑をかけない程度に刈っている。

業者に頼んでいる人も多くいるが、年に一度のお盆前行事として自分なりにご先祖様への供養も兼ねて行なってきた。

【最近の変化】
しかし、歳と共に身体が身軽には動かなくなり、脚立(きゃたつ)に上っても高いところが怖く感じる。

そこで何年か前から軽トラの荷台に脚立を立てて何とかしのいでいる。

その荷台に上がるにもタイヤを足場に、よいしょと上がる始末。トホホ。

【木との対話が不可欠】
今回の剪定を振り返ってみる。

まず、360度から眺め、刈り残しや不揃いなところを確認。

さて、どうアプローチしたら剪定ハサミがとどくか思案する・・・。

そこで脚立の4段目に怖さから上れなくなった身としての行動は、身体の重心を樹木に任せばハサミがとどきそうだということに気づいた。  

だが枝が折れないかどうか、木を信頼しないとできない。「木と対話」しつつ徐々に体重を移動しつつハサミを動かしていく。

やっと刈れた。
なにか木が私を支えてくれて、一体感を感じていた。 

一方、対話してもとどかないと悟ったら決断する。落下リスクを考慮して気前よくノコギリで切るのだ。

何とか見苦しくなくなった姿を見てホットし、心でご先祖様に手を合わせた。 

準備した道具は、脚立・剪定バサミ、ノコギリ、ビニール手袋(尖った枝葉を拾うため)、軍手、袋。

サポートの道具はこれから少しずつ増えていくだろう。

【身体が動かない分、一層知恵を出す】
中小企業診断士は問題解決の専門家である、と自負している。

その私がこれからも年に一度現場の庭木を見て、どう剪定するか考える。

身体が徐々に動かなくなっていく分、知恵を出し工夫し木と対話しながら刈ることになる。

そこにはチャレンジ心や好奇心も必要だ。さらにはご先祖様への思いも。たかが剪定、されど剪定。

午前10時を過ぎてくると、「熱中症」が気になるので終了とする。

そういえば、私は昔から物事に集中すると時間を忘れるタイプだった。

このもうひとつの「熱中性」は歳とともに沈静化し気にならなくなった。
懐かしくもあるが・・・。 

この記事を書いた人

長谷川 正之
長谷川戦略マーケティング研究所所長

1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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