「地方創生とSDGs」(3)大気植民地化③

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前回の欧州列強による国際的人身売買(奴隷貿易)による労働力の強奪について、日本にも触れた著書を最近読んだので、紹介しておく。

「日本史の新視点」著者・新晴正 青春出版社 2021年発行という本だ。

日本にキリスト教が伝わったのは、戦国乱世まっただ中の1549年、ポルトガル・イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってであることは、教科書で習っている。

【秀吉による伴天連追放令】
豊臣秀吉は、最初こそ信長のキリシタン保護政策を踏襲したが、突然手のひらを返すかのように「伴天連追放令」を発する。

なぜ、急に変わったのか?

布教の裏にあった西欧諸国との交易=南蛮貿易にうまみがあったのだが、薩摩の島津氏と争った「九州平定」時に、イエズス会布教責任者に次の4か条の詰問を行った。

1.なぜ、かくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。
2.なぜ、神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。
3.なぜ、人間にとって有益な牛馬を食べようとするのか
4.なぜ、ポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外に連れていくのか。

同時に、追放令を突きつけ、教会や病院、学校を破壊。
しかし、信仰禁止はしなかったので、宣教師は九州にとどまり、非公認ながら布教活動は細々と続いた。

【秀吉がバテレンを追放した真の理由】
秀吉は、九州のキリシタン大名がイエズス会に領地を寄進していたことを知った。

このままでは、西欧列強は宣教師を送り、続いて商人、最後に軍隊を送って日本を植民地化するのではと恐れ、歯止めをかける必要を考えた。それと、もう一つ大きな理由があった。

【日本人の奴隷問題】
日本人の貧しい少年少女が大勢、ただ同然の安さで西欧人に奴隷として売られていることを秀吉は九州の地に来て、初めて知った。

秀吉は激怒したが、当時の西欧商人にとって有色人種の奴隷交易はなんら恥じることのない商取引だった。それは、前回に書いている。

そもそも、1452年、ローマ教皇がポルトガル人に異教徒を奴隷にしてもよい、という許可を与えたことが根底にあるという。

それに対し、宣教師は「売る人がいるからしょうがない」とケロッと言い放ったという。

日本人奴隷の交易に、キリシタン大名たちが何らかの形で関わっていたことは間違いないだろう。

この日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導し、ざっと5万人にのぼったという。

マカオ駐在の白人富裕層の下で使役されたり、インドやアフリカ、南米まで売られたケースもあった。

秀吉の奴隷売買禁止令という強硬な態度により、西欧列強の侵略を阻止したともいわれる。

【秀吉政権の新視点】
1597年、スペイン船サン・フェリペ号の漂着をきっかけとして、スペイン人の宣教師や修道士を含む26人が長崎で処刑された。

ポルトガルよりも露骨に日本の植民地化を推し進めてくるスペインに対する秀吉一流の見せしめであったといわれる。

現代の私たちは、秀吉が非道なキリシタン弾圧をした君主というイメージを抱きがちだが、これが唯一の直接的な迫害であった。
ポルトガル系のイエズス会には特に迫害を加えたことはなかった。

改めて、豊臣秀吉の業績を見直し、日本におけるキリシタンと奴隷貿易に関心を持ちたい。

今回のブログは、欧州列強がグローバル・サウスの植民地化を推し進めるなかで、日本もなりかねなかった、ということを書いた。

次回、CO2排出権利という視点から、大気コモンズについて書く。

この記事を書いた人

長谷川 正之
長谷川戦略マーケティング研究所所長

1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。落語鑑賞が趣味で、「上に立つより前に立つ」や「やってみなければ幸運にも巡りあえない」という言葉が好き。
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